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20年はモンテレイ・オープンで準優勝。ウエスタン&サザン・オープンで3回戦に進み、21年はフィリップ アイランド・トロフィーで準優勝。バーミンガム・クラシックのダブルスでツアー初優勝を飾り、プラハ・オープンのダブルスも制した。22年はウィンブルドンで4大大会キャリアハイの8強。プラハ・オープンでツアー初勝利を挙げた。
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ベルギーの2強豪キム・クライシュテルスとジュスティーヌ・エナンがテニス界を席巻するのを見て育ったメルテンスは、2015年よりクライシュテルスのテニス・アカデミーにてトレーニングを開始した[1]。
4大大会では2016年全米オープンで予選を勝ち上がり初出場した。1回戦で第3シードのガルビネ・ムグルサに 6-4, 0-6, 3-6 で敗れた。
2017年1月のホバート大会の決勝でモニカ・ニクレスクを 6-3, 6-1 で破りWTAシングルスツアー初優勝を果たした。2017年全仏オープンでは1回戦で第24シードのダリア・ガブリロワを 7-6(4), 1-6, 6-4 で破り3回戦まで進出した。
2018年はホバート大会で連覇を達成した。2018年全豪オープンではノーシードから勝ち上がり準々決勝でエリナ・スビトリナを 6-4, 6-0 で破りベスト4に進出した。準決勝では優勝したキャロライン・ウォズニアッキに 3-6, 6-7(2) で敗れた。
2018年11月26日付のランキングで自己最高の12位を記録している。
ダブルスではアリーナ・サバレンカと組み2019年3月のBNPパリバ・オープンとマイアミ・オープンで連続優勝した。9月の全米オープンでもビクトリア・アザレンカ&アシュリー・バーティ組を 7-5, 7-5 で破り初の4大大会タイトルを獲得した。
2021年2月の全豪オープンも引き続きサバレンカと組み第2シードとして出場、バルボラ・クレイチコバ&カテリナ・シニアコバ組を 6-2, 6-3 のストレートで下して優勝した。これによりメルテンスは、全豪オープンのダブルス種目において決勝進出および優勝を果たした初のベルギー人となった。その後、4月にベロニカ・クデルメトワと出場したイスタンブール・カップでも優勝を果たすと、5月10日付のダブルス世界ランキングで1位の座を獲得した。ベルギー勢としてはキム・クライシュテルスに次ぐ2人目の功績である[2]。謝淑薇をパートナーとして第5シードで挑んだ7月のウィンブルドンでは、ロシアのベロニカ・クデルメトワ&エレーナ・ベスニナ組に2度のマッチポイントを握られながらも 3-6, 7-5, 9-7 で激闘を制し[3]、同年2個目となるグランドスラムタイトルを獲得した。更に10月のインディアンウェルズでも謝と優勝を果たすと、WTAファイナルズの出場権を獲得、準優勝した。
WTAツアー決勝進出結果
世界ランキング159位のトレヴィザンは10年以上前、全仏オープンとウィンブルドン選手権(The Championships Wimbledon)のジュニア部門のダブルスで4強入りを果たすなど将来を期待されていたが、父が変性疾患と診断された後の10代の頃は摂食障害にひどく悩まされていたと告白した。
トレヴィザンは伊メディア「The Owl Post」内のブログで「自分の筋肉質な体が大嫌いだったから、生きることができる限界まで自分自身に食事制限を課し、体重を減らそうとした」と記した。
「午後は30グラムのシリアルと果物一つ。それで持ちこたえることはできたけれど、母を心配させてしまい、私に何か食べさせようと走って木から桃を摘んでこさせたりしてしまった」
「引き返せない場所にまで到達していたものの、幸運にもこんなことは続けられないと気づけた。あらゆる関心がうせ、自分の殻の中に閉じこもり、もはや自分自身を認識できないほどの無気力状態に陥っていた」
「心の傷と向き合うために、食事を改めて教わらなければならなかった」
今大会には予選を勝ち上がって臨んでいるトレヴィザンは2日、16強入りを懸けて大会第20シードのマリア・サッカリ(Maria Sakkari、ギリシャ)と対戦する。
自身の問題に対処するため、テニスから4年離れていたトレヴィザンは「拒食症は治る」と続けた。「ほぼ無意識のうちに、自分自身が再びラケットを握っていることに気づいた」 (c)AFP
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4歳から姉クリスティナと一緒にテニスを始める。2010年全豪オープンジュニアシングルス決勝でローラ・ロブソンを破り優勝している。
4大大会では2012年全仏オープンで初出場。2013年2月のBMWマレーシア・オープンで初めてのツアー決勝に進出した。決勝でベサニー・マテック=サンズを 1–6, 7–5, 6–3 で破りツアー初優勝を果たした[1]。
2014年全米オープンでは2回戦で第8シードのアナ・イバノビッチを 7–5, 6–4 で破り初めて3回戦に進出した。3回戦ではケーシー・デラクアに 3–6, 6–3, 4–6 で敗れた。9月のソウル大会と10月のリンツ大会で優勝した。
2015年東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメントでは、第4シードで出場し3回戦まで勝ち進むが、準々決勝でアグニエシュカ・ラドワンスカに敗退した。
2016年のウィンブルドンまでは3回戦敗退がグランドスラムの最高成績であったが、全米オープンでは勝ち進み、準決勝でセリーナ・ウィリアムズにストレート勝ちしグランドスラムで初の決勝進出。決勝ではアンゲリク・ケルバーに 3–6, 6–4, 4–6 で敗れ準優勝となった。
2017年は全豪オープンではベスト8、全仏オープンはベスト4に進出した。ウィンブルドンでは2回戦でマグダレナ・リバリコバに敗退したが、1位のアンゲリク・ケルバーが4回戦で敗退し昨年準優勝のポイントを失ったことにより、23人目のWTAシングルス世界ランキング1位になった[2]。全米オープンでは初めて4大大会で第1シードになったが、準々決勝でココ・バンダウェイに 6-7(4), 3-6 で敗れ、在位8週で1位の座をガルビネ・ムグルサに明け渡した。
2018年7月にチェコのスポーツ解説者のミハル・フルドリチカと結婚した[3]。2018年9月の東レ・パンパシフィック・オープンでは決勝で大坂なおみを破り大会初優勝[4]。
2021年の全豪オープンではシングルス3回戦に進出。同じチェコ出身のカロリナ・ムチョバと対戦するが、試合中に2度にわたりラケットを故意に破壊、それぞれコードバイオレーションを取られた上での敗戦となった
父親はスペイン・ギプスコア県エイバル出身のバスク人[1]、母親はベネズエラ・カラカス出身のベネズエラ人である。5歳からテニスを始める。2011年にプロに転向。
2012-2013年 キャリア初期[編集]
2012年3月のマイアミ大会では主催者推薦の出場から、1回戦で森田あゆみ、2回戦で当時9位のベラ・ズボナレワを6-4, 6-3、3回戦ではフラビア・ペンネッタを6-2, 1-6, 7-6 (6)で破りベスト16に進出した。4回戦ではアグニエシュカ・ラドワンスカに 3-6, 2-6 で敗れた。全米オープンで4大大会に初出場し、1回戦でサラ・エラニに3-6, 7-6(6), 1-6で敗れた。
2013年1月のホバート国際でマリア・テレサ・トロ・フロルと組んだダブルスで優勝し初のツアータイトルを獲得した。4大大会では全豪オープン、全仏オープン・ウィンブルドンともに初戦を突破したが、右足首の故障によりウィンブルドン後の大会をすべて欠場した。
2014年 ツアー初優勝[編集]
2014年1月のホバート国際の決勝でクララ・ザコパロバを6–4, 6–0で破り初のシングルスタイトルを獲得した。全豪オープンでは1回戦で第24シードのカイア・カネピ、3回戦で第10シードのキャロライン・ウォズニアッキを破り4大大会で初めてベスト16に進出した。4回戦ではアグニエシュカ・ラドワンスカに1-6, 3-6で敗れた。
ダブルスではカルラ・スアレス・ナバロと組んで、マドリード・オープンで決勝に進出。サラ・エラーニ、ロベルタ・ビンチ組に敗れて準優勝。 全仏オープンでは2回戦で前回優勝者で世界ランキング1位のセリーナ・ウィリアムズを6-2, 6-2のストレートで破る殊勲を挙げた[2]。ベスト8まで進出し準々決勝でマリア・シャラポワに6-1, 5-7, 1-6で敗れた。カルラ・スアレス・ナバロと組んだダブルスでもノーシードからベスト4に進出した。準決勝で優勝した謝淑薇&彭帥組に2-6, 7-5, 2-6で敗れた。8月のバンク・オブ・ウェスト・クラシックで決勝でパウラ・カーニャ、カテリナ・シニアコバ組に勝利しダブルスのWTAプレミアトーナメントで初優勝。チームランキング年間最終7位でWTAファイナルに出場。
2015年 ウィンブルドン準優勝、トップ10入り[編集]
2015年のドバイ・テニス選手権で決勝に進出し、ティメア・バボシュ、クリスティナ・ムラデノビッチ組に敗れるも準優勝。翌週のダブルスの世界ランキングで10位になった。マドリード・オープンでは2年連続の準優勝。
ウィンブルドンでは快進撃を見せ4回戦で第5シードのキャロライン・ウォズニアッキを、準決勝で2012年にこの大会で決勝へ進出した第13シードのアグニエシュカ・ラドワンスカをフルセットで倒して自身初めてとなる4大大会決勝へ進んだ。決勝では第1シードのセリーナ・ウィリアムズに 4-6, 4-6 のストレートで敗れたものの準優勝に輝いた。10月の武漢オープンではWTAプレミアトーナメントでは自身初めて決勝に進出。決勝のビーナス・ウィリアムズ戦では3–6, 0–3の時点で途中棄権した。翌週のチャイナ・オープンでも決勝進出し、決勝でティメア・バシンスキーを7–5, 6–4で破りプレミア初優勝。さらに10月26日付の世界ランキングでは自己最高の3位になった。WTAファイナルには第2シードで出場。ダブルスでも2年連続出場。WTAファイナル、シングルスではラウンドロビンで3勝し1位通過するも準決勝でアグニエシュカ・ラドワンスカに7-6(5), 3-6, 5-7で敗れた。ダブルスではラウンドロビンで詹詠然、詹皓晴組とキャロリン・ガルシア、カタリナ・スレボトニク組に勝利し1位通過。準決勝でアンドレア・フラバーチコバ、ルーシー・ハラデツカ組に勝利し決勝進出。決勝ではマルチナ・ヒンギス、サニア・ミルザ組に敗れ準優勝。シングルス年間最終3位、ダブルス年間最終14位。
2016年 全仏優勝[編集]
2016年全仏オープンでは第4シードで出場。アンナ・カロリナ・シュミエドロバ、ミルティーユ・ジョルジュ、ヤニナ・ウィックマイヤー、スベトラーナ・クズネツォワ、シェルビー・ロジャーズ、サマンサ・ストーサーを破り決勝進出。決勝では前年のウィンブルドン決勝で敗れたセリーナ・ウィリアムズに7-5, 6-4で勝利し、グランドスラム初優勝を果たした[3]。大会後の世界ランキングで自己最高の2位に浮上。また、スペイン人女子の大会優勝は1998年のアランチャ・サンチェス・ビカリオ以来の快挙であり、2015年のウィンブルドンでの決勝での敗北を雪辱する形となった。リオデジャネイロオリンピックにも出場した。ウエスタン・アンド・サザン・オープンでベスト4入り。WTAファイナルは1勝2敗のラウンドロビン敗退に終わった。
2017年 ウィンブルドン優勝[編集]
2017年は全豪オープンでベスト8入り。ウィンブルドンは第1シードのアンゲリク・ケルバーらを下して2年ぶりの決勝進出、決勝でビーナス・ウィリアムズに7-5, 6-0で勝利しウィンブルドン初優勝を果たす[4]。ウエスタン・アンド・サザン・オープンではカロリナ・プリスコバを下して決勝に進出すると、決勝でシモナ・ハレプを6-1, 6-0で圧倒してプレミア・マンダトリーで初優勝を飾った[5]。
全米オープンは4回戦で敗退するも、ランキング1位のカロリナ・プリスコバが準々決勝で敗退し前回の準優勝からポイントを落とした為、9月11日付の世界ランキングで初の1位となった[6]。スペイン選手の女子シングルス世界ランキング1位は95年のアランチャ・サンチェス・ビカリオ以来で、史上2人目である。しかしチャイナ・オープンで1回戦で途中棄権し、在位4週で世界ランキング1位の座をシモナ・ハレプに明け渡す。WTAファイナルは1勝2敗のラウンドロビン敗退に終わった。シングルス年間最終2位。
2018-2019年 下降[編集]
2018年はモンテレイ・オープンで優勝、カタール・トータル・オープンで準優勝、全仏オープンではベスト4入りした。しかし前年優勝のウィンブルドン選手権は初戦敗退に終わるなど早期敗退の大会も多く、年間最終ランキングは18位に落ちた。
2019年はモンテレイ・オープンで連覇。しかし全体としては奮わず、年間最終ランキングは36位だった。
2020年 全豪決勝進出[編集]
2020年全豪オープンはノーシードで出場したが、3回戦で第3シードのエリナ・スビトリナを破るように勢いを見せ、準決勝では第4シードのシモナ・ハレプをストレートで下す。決勝ではソフィア・ケニンに6-4, 2-6, 2-6で敗れ準優勝だった。3月より新型コロナウイルス感染症の流行でツアーが一時中断。復帰戦となった全米オープンは2回戦敗退。BNLイタリア国際でベスト4。全仏オープンは3回戦敗退。年末順位は15位。
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