45才おじさんのポンコツヒストリー

世界の北海道

私の知り合いの札幌二郎さんが生きてきた歴史です

1978年5月26日北海道札幌市北区に生まれる

生まれた当時は特に問題なく生まれる

  • 2歳の時は特に記憶がないが

にこにこぷんのピッコロの人形をちぎるぐらい遊ぶ

(ドラゴンボールのピッコロではない)

3歳から幼稚園に通う途中で他の幼稚園に引っ越すことになる

最初の幼稚園では建物が小さく意外と自由にやってたような気がする

今振り返れば2回目の幼稚園より個性を重んじてたのかもしれない

2回目の幼稚園は生徒数が多いためどこの幼稚園にも言えるが

規律を重んじていたような感じだ

授業についていけなかった記憶がある

他の生徒が休んでいる間に先生に呼び出されて補講を受けていた

当時は人より劣っているという劣等感をすでに感じていたのかもしれない

今考えれば勉強をいい意味でさせてもらえたけど

 

ろくに勉強も運動もできないまま小学校に進んだ

 

学生としては高校の時と同じぐらい人間関係に苦しんだ

特に小学校高学年4年生になってから国語の点数で0点を取るのが

あたり前だったのでそれだけでもクラスの生徒から体を叩かれるのが

日常的だった

まだその時のクラスの先生が注意していたのでテレビのいじめのニュースのような

事件にはならなかったがこの時から卒業までの3年間は耐えないといけないと

思いこむようになった。

運動も体育の時間だけでなく休み時間も学校のグラウンドでサッカーや野球など

をすることがあったが走るのが特に苦手でついていけないことが日々あった

他の生徒になじめないので帰宅後は一人でファミコンをするテレビで野球や

芸能番組を見て現実逃避していた

 

中学生になってからは小学校のようないじめは少なくなったが

相変わらず勉強、運動、文化活動がまともにできず

高校受験で私立、公立ともに普通科ではなく工業高校を受験した

公立を何とか補欠合格したため

工業高校の電気科の生徒として3年間いた

そこで小学生の時を再現するかのようないじめが起き

1年生の時登校拒否になった

とりあえず担任の先生に説得され何とか通うようになったが

生徒だけでなく先生によって授業中に頭をたたく先生もいた

そこでも小学生の時と同じように3年間耐えれば卒業だから嫌な人間関係から

逃れられるだろうと思った

大学受験か専門学校に行くかの進路のときは親からは大学受験するか

公務員試験を受けたほうがいいと言われた

 

しかし、当時の私の学力ではどちらも難しく

小樽市銭函の短大に行くことになった

そこではとにかく朝から夕方まで週5日電子技術の勉強をした

今だから言えるけどその勉強を活かした仕事とは別の仕事になってしまった

就職活動の時期になり

自分で受験する会社を選ぼうとしたが親が電気工事の会社を経営しているのか

知り合いの会社を進められそこに入ることになった

私も当時は親の言うことを聞けば安心だろうとか失敗しても責任は

自分に100%こないと言うのが心のどこかであった

しかし、実際入ってみると当時はパワハラとうつ病と言うことばがなかったが

仕事はそれなりに教わったが職人の世界のためできなければ怒られるのが日常的にあった

私も高校の時から5年間専門的なことを学んでいるプライドがあるため

心がどんどん傷付き傷が消えることはなかった

9ヶ月で会社を辞めることになり他の会社に行こうとしたが

父から大学に進むよう言われた

結果的に3年次の編入学ができる九州の大学に入った

同時に父は北海道の大学に行って欲しがっていたが別の結果となり

納得してないようだった、この時は申し訳ないと思ったが私もそれしか方法がないと思ったため違う道を選んだ

大学生活は北海道とは正反対の九州の生活のため

暑さには非常に苦しんだ当時はエアコンがなく扇風機に体をくっつけながらの

生活のため早く8月が終わればいいと思っていた

勉強の方は経営学科でとにかく経営者の書籍は読んだ

北九州市黒崎と小倉の本屋によく自転車で片道30から60分走り続けた

札幌に戻った今でも自転車で1時間かけながら本屋に行く

生活をしている

大学の生活は自由ということもありあっという間に4年生になり

就職活動の時期が再び来た

しかし、2年前に山一証券、たくぎんがつぶれ企業の景気がまだよくなる兆しが

ないときに活動していたため一社も内定がもらえず、九州東京札幌含めて活動した

泣く泣く実家の札幌に戻ることになった

 

父の経営する会社に入ったが事務の仕事しかできなかった

電気工事そのものの仕事は体力的についていけず

4年目ごろからようやくホテルのVOD工事の設定ぐらいはできるようになった

しかし8年目の途中で会社がなくなり

この時すでに30歳となっていた

苦し紛れに埼玉に2011年に引っ越したが1週間後に

東日本大震災に遭い2週間電気と水が使えない生活をした

電気は計画停電で使える時期があったため大きな病気にならずにすんだ

この時が初めて自然災害の恐ろしさを知った

場所によってはいまこの文章を書けない状態になっていたかもしれない

求職者支援訓練を受けたり埼玉の工場で仕事していたが定着できず

1年ほどで札幌に戻ることになった

 

とここまでは私の生まれたときから約30年までの出来事ですが

最近、私が学んでいる「なぜかうまくいく人のすごい無意識」を読んで脳の使い方で生まれたときから30歳までの人生でなんのためにこういう結果になったのか分析してみた

ここまで読んだ方にはすでに気づいていると思うが他人によって作られた人生を歩んでいるときづくだろう

学校生活が長くなるとどうしても自分の生き方と言うのがわからなくなるなぜなら学校という環境に合わせて生活しないといけないから

私がなぜ過去を振り返るのかそれは残りの人生つまり未来に対して過去を知る必要があるから

過去のトラウマが未来の自分にしたくないよーと言っているから

 

せっかくだからあなたも残りの人生成功したいよーにするためにどうすればいいのか

過去の悪い記憶を悪い過去があるから自分は成功するという情報に書き換える必要がある

私もそうだったが悪い過去は親の悪い部分を受け継いだと思ってしまっていないだろうか?

遺伝だからしょうがないという人もいるでも遺伝子というのは環境によって変わるため親の時代とあなたの時代は全く違うから親は基本、紙媒体による情報中心、あなたはスマホによる情報中心で生きているから思考が全く違うだから親と同じ問題になるのはありえない

 

私も父が毎日お酒を飲むが私はまったく飲まない40年以上同居しているにも関わらずだ

「なぜかうまくいく人のすごい無意識」梯谷先生の本を読むと意外と自分が考えている常識がおかしいと気づく是非立ち読みでもいいので読むと今後の人生が変わります

 

私は短大卒業までは自分なりに学力がないため進路先が限られていましたが自らの意志で人生を歩みました

しかし、最初の就職先が親に進められた場所で辞めようとしたとき父や母と意見の食い違いがありました、そのことに対して九州の大学を卒業しやむを得ず親の経営する会社で働きましたが同時にお互い憎しみがありました

当時は親を大事にするという気持ちよりも見返そうというリベンジする気持ちが無意識につよかった

そんな気持ちはないのに自分の人生の結果に対する責任は顕在意識にはあるのに無意識に恨みが残っていました

今思えば親に対して申し訳ない気持ちと自分の人生の責任を他のことに当てていたのかもしれません

同時に父が40年近くも会社経営していたため自分はポンコツだというネガティブな自分を作ることを意図としてやってしまいました

それでも今の自分は昭和生まれだけど平成の時代を全て生きてきた、私には平成の歴史を知っているという価値のある人間だと言う意識で残りの人生を歩みます

あなたにも作ってもらいたいですが、自分の人生を自分で作るそれが他人には正しいと思わなくても自分の世界を死ぬまで作ることが自分の人生の幸福でもあります

2012年から札幌に戻りとにかく両親には救われた

一番苦しい時に一番救われるのはやっぱり家族だというのを人生の中で特にこの時期に痛感した

しかし、この時私は30代だったが平成から令和になるまで、平成の30年間は失われた30年と言われました

私の場合は、30代の10年間は不本意な結果のため失われた30代でした

特に2012年から2019年、時給850と900を往復するバイトをやり続けて、年金や保険会社の個人年金も払っているので苦しい時期が7年続きました

2020年からなぜか派遣で時給1000円になっていました

札幌だから時給上がったんじゃないかと思いますがまだ当時は最低賃金870円ぐらいでした

コロナになってから時給が1000円になるならコロナ前からもっと給料が上がればよかったのにまあこれは自分の責任ですが・・・

こう思うのは言うまでもないですがコロナになって仕事を失う人が数え切れないぐらいいたこと、公には出ていませんが私の住む札幌でもすすきので焼肉屋のオーナーが家族を守るために保険金を下ろそうと自殺をしてしまったなど個人だけでなく家族をもまきこむぐらいコロナという謎の問題に振り回されてしまった

私自身は2020年ですでに42才になり、派遣の時給は1200円まで上がったこともあったが短期の仕事を繰り返しこのままでは生きていけない、フリーでも稼げる方法をと現在も模索している状態だ

会社に雇われにくくなっているからフリーをやるのかそれもあるけど

これからの時代を生きるにはという未来を考えると

自分の年収を上げる方法が思い浮かんだ

2023年に45才になり

20代は資格や公務員試験の勉強、30代はネットで稼ぐための勉強、40代前半は心またはスピリチュアルの勉強が目立っていた

現在はまだ成功者とはいえないが成功していない自分がなぜ存在しているのか

45才の今は脳の使い方について勉強してこのブログでこれから配信する予定だ

あるサイトで人生が私に対してなにを求めているのか?

残りの人生、自分が人生に求められることを自分自身が知ることが

今後の自分の人生を左右するという認識で配信します

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